イスラム教にとって大きなお祭りであるイード・アル=アドハー(犠牲祭)がいよいよ始まります。
今年は9月1日から4日です。
初日はメッカ巡礼(ハッジ)の最終日でもあります。
日本では「犠牲祭」と意訳されることが多いです。
これは聖書にも載っているイブラヒーム(キリスト教のアブラハム)が神に自分の信仰心の証拠として自分の息子イスマイール(キリスト教のイシュマイル)を犠牲として捧げたことによります。
神はこの行いでイブラヒームの信仰心を讃え、息子を生き返らせた、としています。
イスラム教の人びとはこの期間、アッラー(神)への捧げ物としてヒツジ、ウシやヤギなどを屠り、貧しい人びとと分かち合います。
大まかにとらえると、キリスト教はユダヤ教を下敷きとし、イスラム教はキリスト教を下敷きにしています。
それぞれの登場人物は発音こそ少し違いますが、引き継がれています。
イエスはイーサーとしてムハンマドの前の預言者としてクルアルーンに登場します。
つまり大元にさかのぼればユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ神を崇めているのです。
ただ、解釈が違うのです。
この解釈の違い、は、しかし、とてもやっかいな問題です。
同じキリスト教徒同士でも、カソリックかプロテスタントかで殺し合いの戦いが起こりますし、同じイスラム教でもシークとスンナも互いに敵対しています。
詳しくない人から見たら同じにしか見えないのに、同じなのに少し違う、その少しが許せない、ということは、なんて悲しいことなんでしょう。
みんなが少しずつ、自分との違いを認め、理解できないとしても容認できれば、きっとこの世界はもっと住みやすくなるのではないでしょうか。
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