スザンヌ・ムバラク前大統領夫人の思い出

かつて一度だけ、スザンヌ・ムバラク夫人(当時は大統領夫人)を見かけたことがあります。

マスコミに流れているようなスーツ姿にきっちり決めた髪型とメイク、ではなく、大きな黒のサングラスに白のロングTに黒のスパッツ、スニーカー姿でした。

ヒョウ柄じゃないけれど大阪のおばちゃんぽい感じでした。

エジプトでは、結婚しても名字は変わりません。

パパのお姫様は結婚してもパパのお姫様のままです。

婚家に入る、という感覚も当然無いので、嫁姑バトルはかなり激しいそうです。

両サイドの親族などの関係で、村が二分されることもあるとか。

そういう意味では、スザンヌ夫人がスザンヌ・ムバラクと名乗るのは、じつはかなりイレギュラーなことなのです。

国際的には夫婦別性はまだ馴染みが少ないことを考慮して、公式の場ではムバラク姓を名乗っていたのです。

16歳でホスニィ・ムバラクと知り合い、17歳で結婚、息子を二人出産した後、大学へ進学し、学士にもなっています。

お母さんはウェールズ人の看護婦(お父さんはエジプト人)ということもあり、もともと国際感覚が身についていたようです。

国連の国際連合食糧農業機関の親善大使も務め、カイロに大英博物館と提携した子供博物館を設立したりしましたが、文盲率を下げるために様々な試みを行ったことの印象が強いです。

文盲には度合いがあります。

文字を文字として認識できない、または繋げて単語として認識できないというものから、買い物などで必要な文字や単語は読めるが新聞や小説など文になると何が書いてあるのか分からない、というものまでです。

エジプトに多いのは後者のタイプで、買い物などは不便でないので、自分が文盲だという意識もあまりないように見えました。

そんな中、人数が多いことと施設が不足しているために午前と午後の二部式にはなりますが、初等教育を等しく誰にでも受けることができるようにしたのは、子どもたちを文盲のサイクルから出すためでした。

さらに図書館のない地域に循環図書(スーツケースに様々なジャンルの本を詰めた物を地域内で循環させる運動)や移動図書のシステムを提唱し、実施にこぎ着けたのはスザンヌ・ムバラク夫人の功績です。

貧富の差がまだまだある国ですが、頑張れば報われる、という上昇志向の子どもたちが目をキラキラさせていたのをよく覚えています。

私がエジプトに行っていた頃、スザンヌ・ムバラク夫人は確かにすべてのエジプト人の子どもたちの母親のようでした。

 

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