終戦記念日ですね。
ちなみにエジプトは参戦していなかったのですが、戦場になりました。
マルサ・マトローハにはドイツ軍のロンメル将軍の基地が博物館として残っていますし、
私が行った時にはまだロンメル将軍と握手した、というご老人もいらっしゃいました。
シーワ・オアシスでもそんなエピソードをたくさん聞きました。
北アフリカ戦線があったので、ドイツ軍とイタリア軍の兵士たちの共同慰霊所などもあります。
それに沙漠にはたくさんの地雷が残されています。
地雷は設置するのに一つ1ドルかかりませんが、撤去にはその10倍以上の費用がかかります。
エジプトの沙漠に地雷を埋めまくった国々は終戦と同時に撤退し、地雷は放置されたまま、未だに多くの子どもたちや大人たちの手足や命、未来や希望を奪っています。
サファリ・ツアーでは、ドライバーたちがだいたいの地雷地帯を把握しているので問題ありませんが、
本当はまだまだ危険な場所がたくさんあるのです。
終戦記念日に伴って、多くのテレビ番組などが放映されますが、
エジプトが取り上げられたものは今のところ見たことがありません。
でも、シーワ・オアシスでは占拠したイギリス軍によって他のオアシスとの交易を止められ、飢えを強いられたり、残っていたたくさんの古代エジプト時代の遺跡から壁画などが剥がされ撤退時にイギリスに持ち帰られてしまいました。シーワ・オワシスの住民たちもマルサ・マトローハの住民たちも、イギリス軍を駆逐したドイツ軍に恩を感じ、好意的な印象を持っている人が多かったような印象を受けました。
ただ、地雷はイギリス軍もドイツ軍も埋めていきました。
そしてエジプト政府が細々と撤去していましたが、広範囲であること、大量であること、予算だけでなく技術的にも埋めるのは簡単なのに撤去は大変難しいことによって遅々として進んでいません。
ムバラクが失脚した後、そちらに予算が回されているという話を聞きませんので、もしかしたら停滞しているかもしれません。
多くの人々の記憶から忘れられた第二次世界大戦の遺産は、まだ息を潜めてエジプトの沙漠に埋もれています。
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