古代エジプト史の有名人といえば

クレオパトラ女王は映画などにもなり、有名ですが、彼女はプトレマイオス時代、つまり、アレクサンドロス大王の亡き後、エジプトの王となったプトレマイオスの子孫です。

それゆえ金髪だった、とか、碧眼だった、など、諸説こもごもあるのですが。

ちなみに当時、王女の名前と言えばベレニケとクレオパトラだらけで、ほぼこの2択しかありませんでした。

なかには、ベレニケ・クレオパトラと両方の名前がつけられた王女もいました。

後の研究者が便宜上、1世、2世、と割り振った結果、エジプト史上最後の女王とされるクレオパトラは7世となっています。

クレオパトラ7世の子どもも、シーザーとの子、シーザリオンばかりに注目が集まりがちですが、実はアントニオとの間にも子どもがありました。二卵性双生児の男女と、その下に男の子の3人が知られています。

この子たちはクレオパトラ7世死後、オクタヴィアヌスの妹でアントニオの初めの妻小オクタヴィアに育てられました。

双子の娘のほうは母と同じくクレオパトラという名で、後にマウレタニアの王ジュバ2世の妻となりました。

ジュバ2世はオクタヴィアヌスの擁護でヌミディアの王となり、その後、オクタヴィアヌスの命でマウレタニアへ転出して王となった人物です。

クレオパトラ7世の孫には残念ながらクレオパトラはいないのですが、プトレマイオスがいます。

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